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【聖遺物】聖骸布について調べてみた

以前、「ロンギヌスの槍」についての記事をアップしましたが、今回はイエス・キリストの亡骸を包んだとされている聖なる布「聖骸布」についてです。

現在、聖骸布はトリノの聖ヨハネ大聖堂に保管されています。

トリノの聖骸布。

よく見ないと気付きませんが、この布にはイエスの姿(らしきもの)転写されています。

ネガポジを逆転した画像がこちら。

果たしてこれは、本物の聖遺物なのでしょうか。

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発見

この聖骸布は、1353年にフランスの貴族が所有しているところを発見されました。

その後、いくつかの所有者、保管場所の変遷などを経てサヴォイ家の所有となり、1578年にはトリノへ移動されました。

当時の教皇クレメンス7世は、これを布に描いた絵だと宣言するなど、神聖物とは見なしていませんでした。

しかし、1898年にアマチュア写真家が聖骸布を写真撮影したところ、ネガから布に刷り込まれた男性の姿が発見され、世界中に知られるようになりました。

男性の特徴は、聖書に伝えられるキリストの姿と不気味なほど一致しており、トリノの聖骸布は本物ではないかと言われるようになり、一躍有名になりました。

この聖骸布、真贋について様々な議論があり、かなり詳細な科学調査分析も行われております。

が、その結果は肯定、否定どちらもあり、ハッキリとした結論は出ていません。

逆に言うと、現代の調査では説明出来ない不可思議な点がいくつかあるのです。

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いつ作られたのか?

・1回目の調査

1988年、考古学などで資料年代推定に用いられる放射性炭素年代測定(炭素14法年代測定)が行われた。

調査を行ったのは、オックスフォード大学、アリゾナ大学、スイス連邦工科大学の3機関。その結果、この布自体の織布期は1260年から1390年の間の中世である、と推定された。

バチカンもこの調査結果を公認し、キリストの亡骸を包んだ布ではないとして決着がついたかに見えました。

しかし、聖骸布は過去に何度か火災に遭った際に補修されており、その補修部分をサンプリングしたのでは無いかとの指摘が上がりました。

そうして、2回目の調査が行われることとなります。

・2回目の調査

2005年、アメリカのロスアラモス国立研究所の研究者が疑惑を払拭する為に、調査を実施した。

新たに聖骸布からサンプルを取得し、バニリンが含まれているか分析した所、全てのサンプルに含まれておらず、補修された部分のみ含まれていたとの結果だった。

バニリンとは、麻等の植物が含有する物質で、時間経過と共に消滅する特徴がある。

トリノの聖骸布にはバニリン含まれていない事から、この時の調査では、1300年から3000年前のものという結論となった。

ということで、イエスが生きた時代のものである可能性が出てきたのです。

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どこで作られたのか?

1973年、スイス警察犯罪科学班のフライ博士によって、聖骸布の花粉調査が行われた。

レバノン杉をはじめ、49種類の花粉粒が発見されたが、その中の13種類については死海周辺にしか群生していない植物のものであった。

ただし、これはあくまでそう言う花粉粒が発見されたというだけであり、聖骸布が死海周辺で作られた確たる証拠というわけではありません。が、いやおうにも期待は高まります。

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聖書との一致

聖骸布に浮かび上がる男性を細かく見ていくと、聖書で語られるイエス・キリストの特徴と、ことごとく一致しています。

イエスは顔を殴られた

聖骸布の男性の顔をよく見てみましょう。

・両方の眉弓に腫れ
・右まぶたに裂傷
・右目の下に大きな腫れ
・鼻に腫れ
・右頬に三角形の傷
・左頬の横に有る腫れ
・あごの左側に腫れ

これらの特徴が確認出来ます。聖書に書かれている通り、ボッコボコにされた顔です。

イエスは茨の冠をかぶせられた

後頭部に、少なくとも8つの独立した血の流れが確認出来ます。

ちょうど茨の冠を被った時にはまる高さから、血の流れが始まっているように見えます。

イエスは重い十字架を運ばねばならなかった

男性の両肩は、かなり黒ずんでおり、さらに線状の傷が無数に見られます。

まるで、鞭で傷つけられた皮膚を、何か重いもので擦ったかのように。

イエスは十字架を背負って何度も転んだ

この人物の両膝には強度の損傷が有ります。

左ひざの皿の部分にかぎ裂き状の擦過傷とともに大きな打撲傷、右ひざにも小さな打撲傷が確認出来ます。

イエスは両手・両膝に釘を打たれて磔にされた

手首に、釘で貫かれた明らかな痕があります。

一般的に、イエスの磔の様子を描いた絵画では、手のひらに釘が打たれている場合が殆どです。

しかし、実は、このように手のひらに釘を打っても、体重を支えることはできません。体重で手のひらが裂けてしまうのです。

そのため、現代では、イメージと異なり、実際には、イエスは手首に釘を打たれたのだと考えられています。

また、手首に釘を打つと、神経が損傷して親指が内側に曲がります。そして、聖骸布の人物は、親指が隠されて陰影が写っていません。

こうした点から、聖骸布に絵がれた人物は、少なくとも、実際に磔刑に処された人物が元になっている可能性が高いと考えられます。

イエスは、その死を確かめるために脇を槍で突かれた

イエスは、例のロンギヌスに槍で突かれたと伝えられています。

聖骸布の人物は右脇に楕円状の傷があります。また、ここから流れる血による陰影には、色の濃い部分と薄い部分とがあり、血液と透明な液体とが混ざっていたと考えられます。

ヨハネの黙示録には、

一人の兵卒、槍にてその脇をつきたれば、直ちに血と水と流れいづ。これを見しもの証をなす、その証はまことなり、彼はその言ふことのまことなるを知る、これ汝等にも信ぜしめんためなり

とあり、これまた記述と一致します。


このように(分かりにくくても、感じて下さい)、聖骸布は明らかに聖書の内容、そして医学知識に忠実に描かれています。

しかし、布自体の素材を分析しても、絵の具や顔料などを使用した形跡は無く、実は製作方法は依然として判明していません。

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写真の原理説

かの高名なレオナルド・ダ・ヴィンチは、錬金術にも造詣が深い事でも知られていますが、この聖骸布は、ダ・ヴィンチによって偽造されたものではないか、という説があります。

製作方法は、卵白とクロム塩の混合液を感光剤として、ピンホールカメラの要領で、布に姿を焼き付けるというものです。

これは、聖骸布が明暗逆(ネガ)になっている事や、輪郭がボケている事、精巧な描写である事を見事に説明しています。

しかし、前述の年代測定結果と合わないという事に加え、偽造されたものにも関わらず、たまたま写真に撮られるまで像が写っていることを知られていなかった事は大いに疑問です。

当時の布ではない?

2009年、はるか昔から封印されてきたエルサレムの洞窟墓の中から、キリスト時代の埋葬布が初めて見つかりました。

こちらは、正真正銘西暦1~50年頃の布なのですが、実はこの布、単純な織り方の亜麻布と毛織物を継ぎはぎしたものでした。

それに対し、「トリノの聖骸布」は複雑なあや織りで織られており、どうも後の時代に織られた布である可能性が高くなってしまいました。


カトリック教会は、「布の真偽に関係なく、信仰のための重要な道具である」などと、大人の対応をしていますが、実際の所、トリノの聖骸布は聖遺物シリーズ最後の砦です。

なんとか・・・なんとか踏ん張ってくれっ・・・!

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