豊臣が朝鮮と明を征服してたらどうなっていたの?

1 :日本@名無史さん:2012/03/11(日) 00:33:00.56

インドまで行っていた?

2012-09-03 10:15:38 写真1
2 :日本@名無史さん:2012/03/11(日) 01:19:51.88

日本の公用語が中国語になっていて
文字は全部漢字になっていた

3 :日本@名無史さん:2012/03/11(日) 12:07:33.56

結局徳川にのっとられる

5 :日本@名無史さん:2012/03/11(日) 13:52:45.97

李自成軍や満州軍と戦う展開になっただろう。
その結果、どうなっただろうか?

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8 :日本@名無史さん:2012/03/11(日) 21:54:14.52

>>5
明を征服してたら李自成とは戦えないでしょ
満州軍だが史実と同じように関東関を固めれば大丈夫

6 :日本@名無史さん:2012/03/11(日) 14:23:36.32

背後から(徳川に)一突き

11 :日本@名無史さん:2012/03/13(火) 00:27:15.46

まぁ、確実に勝てたからな。

1 日本は島津のみ単独派兵   最強兵団だが。
2 兵站が膨大で機能していた。これは膨大な資料と論拠から確認される。
3 明はほぼ全力投入。しかもその段階で国難、危機滅ぶ、勝てないとか抜かしていた。
  日本はまだ5倍兵力温存してたのに。

最終的に、
最低でもおそらく遼東半島付近までいく。
そしてそれ以後、GABI山程度までいって、明滅ぼしてたろう。
そしてそれ以後は黄海近辺までなら多少影響力もてないから、途中まで、まぁ間接統治。
 
当時、シナが完全に
 
建築、城塞
その総量で日本に完全敗北してるんだよね。
だから市街が総規模でほぼ200~400万人程度。もう完全に日本の4割程度の城塞規模しかない。
逆にGDPも温床大名も限られる。もう完全に派兵武士限定?くらいしか温床はない。
 
そして当時ペストその他荒廃していたため、GDPはまったくのぞめない。
まぁ、飢餓リスクでGDPは望めない。
 
とったら赤字だったよ。完全に。

12 :日本@名無史さん:2012/03/13(火) 00:40:36.73

ここで当時の資料。国力を正式に確認、把握してみようか。

当時日本の山城とか異常、後世つぶしただけで、山城、城なんか最悪2万以上あった。
国民1000人にひとつだぜw
 
そして
兵員←正規レベル+派兵経験者のみ  ほぼ50~万以上 温存30万以上
銃各種 ←大砲100門程度推定 銃10~20万は軽く以上。
装備  ←事実上ヘビアーマーであった世界最硬の銃弾すら防げるボディアーマーが合計10万着レベル。
    ←鉄兜、鎖かたびらなど日本では軽レベルの装備でも合計50万着以上。当然刀など個人武装は100万以上。民間含め数百万よろい除く。
艦艇  ←1000トンレベルの戦闘艦 ほぼ100は軽く以上。300説あり。ほぼEU艦隊に匹敵。ただし砲弾技術多少劣る。
輸送艇 ←数千両以上。民間含め数万量以上。 輸送量ほぼ5万+8万以上ないし、米俵3万俵+5万俵以上
軍馬  ←推定20万騎以上民間含め50~100万以上。
 

歩兵  ←資料によるがほぼ正規20万程度が妥当。
銃   ←数万丁もない。ただし日本より相当古いもの。
個人装備←粗悪刀と旧式のレザーめいる主力。鉄鎧など小。 ほぼ秦時代の装備w古代装備w。 なんと秦島津は重武装なのに、革鎧だとかw
艦艇  ←ほぼない。戦闘艦なし、輸送艦 民含め1000艇程度。極小。
軍馬  ←不明だが、騎兵の有効活用がない。清ですら騎兵すくないので、推定~10万も民間含めないと予想
 
なんで兵力あっさ。また金銭、GDPレベルでは総量的に
日本で大名連合+でほぼ800万両年収。  明で50~100万両レベル。これは確実。
で清になっても
大砲が追加されるだけで←日本より性能劣る。威力がない。

13 :日本@名無史さん:2012/03/13(火) 00:44:38.93

なわけで、兵力、国力は一方的なんだ。
 
そもそも、明、清、伝統大国説が嘘で、資料根拠、物象根拠がなく、国際的にも大小国。
小国なのに、外国みないで無視して大国たりたがる基地外なんだよ。
 
そもそも国債外交まともにないじゃな。伝統的に日本くらいしか国交ないし、そもそも正規国交結ぶ能力ないんだぜw
 
そして
城塞、市街量、GDPで小国であったのが確実視される。
また当時、シナ、事実上徴税対処量がすくなく、経済余剰、非正規層が拡大してただけで、
産業計画が毎回失敗して、殖産できずに、うまくいかない品国だったんだよ。ずっと。
 
そもそも歴史キャパ小国だからね。
 
そんなわけで勝つほど赤字。
そもそもあの戦争は 海賊討伐。地域安定
が目的で日本は目的達成して買って、明は最後海賊もろとも滅ぶんだよ。
そのあと当然周辺かいぞくはちからなくなって 滅んだ。

14 :日本@名無史さん:2012/03/13(火) 00:48:23.47

そもそも歴史上
 
清、明、宋、唐、隋、それ以前、漢
ってのがまともな歴史、時事、人物、建造、国力なくて、空想英雄が一人歩きしてるだけ。
ある意味 ちょん並空想英雄があるだけで、その程度の空想レベルであって、蛮族と力比べしてる蛮族なんだ。そして蛮族に負けるんだよw
 
そもそもモンゴルとかシナが死ぬほど負けた。モンゴルが疫病まいただけであって
対大国戦争で全部まけるんだよな。その程度なんだよ。

16 :日本@名無史さん:2012/03/14(水) 14:12:02.55

まあ、朝鮮も民衆と支配層が離反していたから、そこいらへんをうまくつけば
なんとかなったかもね。
 
それがそもそも出来なかったから、現地調達が不可能になったわけで。

17 :日本@名無史さん:2012/03/15(木) 01:12:55.27

朝鮮から明にいくのは不可能ですって加藤清正が言ってたよ

18 :日本@名無史さん:2012/03/16(金) 22:32:58.15

兵力的に無理だな。地政学的に、兵站が弱い日本軍が明国を攻略するのは
不可能だ。
後世の国際関係を考えれば、下記のシナリオではないだろうか。
 
まずは、兵力的に奪取できる土地を調べさせ、琉球や高砂国(台湾)を攻め取り、日本領
にする。明国を刺激する要素は十分だから、九州勢はしばらく台湾統治に重点化
させる。
 
朝鮮出兵なんて馬鹿な真似はせず、水軍を中心に、済州島や鬱陵島など島々を攻略しておく。
史実では、蠣崎慶広の名護屋に参陣しているが、蠣崎を先方に徳川家康を総大将として
蒲生や伊達、南部ら奥州勢をつけて、北海道・樺太・千島を制圧させる。
 
14世紀に朝鮮支配下にあった済州島はもめるが、そのときは朝鮮に兵を上陸させ、割譲を
せまる。もちろん、空島政策をとっていた鬱陵島も。さすれば、鼻から、竹島は問題にならない。

19 :日本@名無史さん:2012/03/17(土) 04:32:43.70

農民収奪システムを一元化して勝ち組を仲間に加える組織拡大プロセスを継続したいだけだから
沿岸支配とか頭にないし台湾とか要らない

25 :日本@名無史さん:2012/03/20(火) 16:58:32.38

中国って以外と大軍を展開出来てないんだよな
ヌルハチにフルボッコにされたサルフの戦いも
12万しか動員出来てないし(サルフでの敗北が明滅亡の遠因or主因と言っていいのに)
一見、明ほどの大国になると100万とか平気で動員出来そうな気もするけどね。
当時の慶長の役で明軍は15万動員してるけど、あれは結構頑張ってる方だと思う。
 
>>23
正直、今にして思えば朝鮮や明より台湾の方が旨みはあったと思う
未開=植民に適してるって事だしさ。
それこそ、朝鮮、明人を根絶やし状態にして、そこにあぶれた日本人を送り込むって
方法を取るなら政権の長期安定も可能だけど。
 

20 :日本@名無史さん:2012/03/17(土) 12:53:55.42

兵站力が弱いのは海軍力が弱いからだよ
船の性能も大きさも航海術も足りない

24 :日本@名無史さん:2012/03/20(火) 11:03:07.65

仮に武力による一時的な征服はあり得ても、
日本軍は中国語もできないし、統治するための現地の人材もいない
中国で一体どんな政治ができるというのか
 
2、30万の軍勢で南京を制圧して、あとはどうするのか
ただただ掠奪を繰り返すだけでは、中国にとっては単に「賊」がやってきたの変わらない
 
兵力がどうの海軍力がどうの、兵站がどうしたとか、
それで明を征服できます、なんてバカみたいな話だ
 
文化的にも日本が中国から影響を受けることはあっても、その逆はない
こんな「夜郎自大」そのもののスレとレス、日本人として恥ずかしいわ

28 :日本@名無史さん:2012/03/21(水) 22:49:12.30

>>24
匈奴、鮮卑、突厥、蒙古、女真と中国から影響を受けて
中国ができない異民族は次々中国に侵入して国を建てたり支配してるが
中国語ができないというがちゃんと秀吉側の諸将は明と対話している
通訳ぐらいはいただろう
 
ただ中国支配は難しいというのは同意する
はっきりいって明の完全征服には30年ぐらいはかかり
治世安定には数十年はかかるだろう

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31 :日本@名無史さん:2012/03/21(水) 23:12:15.93

治世を数十年かけて安定させて最終的には日本語がなくなって中国語が公用語となり
ひらがなかたかなはなくなって漢字だけになり
名前も中国人のようになり
日本人も中華民族の一つと認定されていたんだろうね

34 :日本@名無史さん:2012/03/22(木) 07:23:07.82

八紘一宇、五族協和が16世紀にも実現していた。

35 :日本@名無史さん:2012/03/22(木) 13:56:13.54

>>34
ネトウヨ乙
 
朝鮮には人買いが一杯軍と一緒に渡って労働力として東南アジアに売り払っていた
 
焼き物の技術者は諸大名が取り合い。
 
戦闘では日本が勝っても占領できない状態だった。

38 :日本@名無史さん:2012/03/22(木) 22:53:16.15

>>35
>焼き物の技術者は諸大名が取り合い。
これのソースは?単に使えそうな捕虜を連行しただけの話で、大名同士で取り合いなんてあったか?

40 :日本@名無史さん:2012/03/23(金) 16:27:44.39

中国で新王朝を立てたとしても、豊臣氏は日本の天皇の臣下でもあるので、
プライドの高い中国人士大夫層が日本からの独立を求める。
そして、日本関白の系統と中国皇帝の系統に分裂する。

42 :日本@名無史さん:2012/03/23(金) 21:18:16.51

>>40
大丈夫、中国人はチンギスハーンやヌルハチの父や符堅の部族や北魏の部族も
太祖と言っているから
天皇も太祖と敬うだろう
ついでに日本人も中華民族の一部と認定し
自民族認定するだろう(中国は外敵に征服されたのではないと脳内で合理化する)

43 :日本@名無史さん:2012/03/24(土) 00:37:24.57

120年もの戦国時代で鍛えられた侍たちも
しょせんは井の中の蛙だった。

46 :日本@名無史さん:2012/03/24(土) 08:52:08.62

16世紀の秀吉の大陸遠征を研究して、日本と中国の戦争術を比較研究した江戸時代の兵学研究者、荻生徂徠は、
組織的な戦術に長け、大兵力を神変のように自由に取廻す中国軍を相手に、
兵士の個人的力量に依存して非組織的な戦いを行う日本軍は敗北したとして、日本の戦争術を厳しく批判しています。
 
日本人から見て、中国の軍隊は、圧倒的にチームワークに優れた恐るべき敵に見えたと言うことです。
 
豊太閤の軍が朝鮮半島で明軍と戦った時、
双方がとまどったという。明軍は、陣法、すなわち一部隊全体の
組織的な動きで戦い、日本軍は個人の勇力で戦う方式だったからである。
戦闘についての観念がまるでちがっていたわけだ。
日本軍から見ると明軍は気味のわるいものである。
全体がまるでヘビかミミズみたいにぐにゅぐにゅと動く。右の方が出てくるとともに左のほうがひっこんだり、
正面がからっぽになって左右がのびて来たりする。
マスゲームみたいなものである。どこかでだれかが
人形をあやつるように動かしているのだろうが、よくわからない。
……
そんなふうに中国の軍隊は、昔から統一的な指揮のもとに有
機的に動くのを特徴としていた。……
……
http://trushnote.exblog.jp/15124531

49 :日本@名無史さん:2012/03/24(土) 14:12:31.06

同じ事を言うが
明を征服したら日本も漢化してただろう
戦場をなくした浪人がいるのなら大人しく蝦夷地開拓に回して
アイヌ人を同化していればよかった
樺太ぐらいならいけただろう

50 :日本@名無史さん:2012/03/24(土) 20:04:56.05

明治の北海道開拓史を調べた方がいい。
ゲーム脳なら土地に人を動かせば済むが、現実は違う。

52 :日本@名無史さん:2012/03/24(土) 22:52:54.69

とりあえず明征服よりは蝦夷地開拓のほうが可能性はある

53 :日本@名無史さん:2012/03/24(土) 22:56:41.66

蝦夷地開拓よりまだ台湾開拓の方が簡単そうだ

54 :日本@名無史さん:2012/03/24(土) 22:58:16.32

ヤマト朝廷の陸奥の開拓は700年かかった
北海道の開拓も秀吉の時代から始めても
かなりかかりそう

56 :日本@名無史さん:2012/03/24(土) 23:42:54.46

朝鮮満州華北の寒さは北海道並みかそれ以上だ
北海道が無理なら所詮明征服など無理だな

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57 :日本@名無史さん:2012/03/25(日) 00:47:41.34

無理ゲーだったのは異論無い

58 :日本@名無史さん:2012/03/25(日) 01:22:40.43

まあその寒さが逆に日本を守っていたんだろうね

60 :日本@名無史さん:2012/03/25(日) 16:20:48.21

だいたい、高田屋嘉兵衛がゴローニン事件でカムチャッカに連れて行かれた際にも、
食料を「捕虜じゃないから自前で準備する」と言って自分たちの料理ばかり食べてたら
たった一冬で3人脚気で死亡している。
 
本州では最も北に位置する津軽藩が北海道警護した際にも、100人中生き延びたのは
17人のみ。死因は、浮腫病というが要するにこれも多分脚気。
 
日本人的生活を捨てなければ、北海道以北の生活は無理。
江戸時代の商人たちも季節で移動して一旦暖かいトコに帰っていたしな。

62 :日本@名無史さん:2012/03/25(日) 20:05:16.93

>>60
だから本格的な開拓を行うときは現地の食事や現地の家や服装をまねればいい
稗や泡を植えればいい

63 :日本@名無史さん:2012/03/25(日) 20:37:46.29

>>62
俺たちはアイヌ人と違って肉食しない…ってのが日本人のアイデンティティだったからなw
ちょいそこいらへんに問題あったんだよ。
 
習慣つーか、まあ優越感の根拠になっている部分を自ら潰すってのはねえ。
住居も同じ。

65 :日本@名無史さん:2012/03/25(日) 21:48:13.07

脚気なんてのも稗や粟や黍や玄米を主食にすれば
どうにかなりそうだけど
というか寒い所だと米なんてできないからこれらを主食にしないといけない

66 :日本@名無史さん:2012/03/25(日) 21:51:31.71

雑穀米だけじゃたりない
盛岡藩のように野菜や大豆を栽培していればいいんだけど
当時の北海道の気候と畑作技術では難しそう

67 :日本@名無史さん:2012/03/25(日) 21:55:43.53

じゃ・・じゃがいもがあれば・・・

68 :日本@名無史さん:2012/03/25(日) 22:00:32.47

でも蝦夷地は開拓する価値はある

69 :日本@名無史さん:2012/03/25(日) 22:07:39.46

>>68
鮭と昆布は貴重な交易品だからね。

70 :日本@名無史さん:2012/03/26(月) 01:30:44.41

当時の技術で樺太で家を建てるとするなら、半分地下に埋まった縦穴住居を作るしかない。
そうじゃないと樺太の寒さを乗り切れない。少なくとも中部以北は。
 
先発隊が行って、延々ひたすら薪を準備しておき(切り出しと乾燥、薪割り)、燃料が充分
あるなら別かも知れないが…。
 
そういう生活する人をバカにしていた日本人が、そういう生活をするってのはかなりつらそう
だと思うんだけどね。

71 :日本@名無史さん:2012/03/26(月) 01:33:29.43

そうなると、前の方に書かれている「アイヌ人を同化」どころか、アイヌ人に同化という
事態になる…。衣服、食料、住居全てアイヌ人に学ばないととてもじゃないが生活すら
できない。
 
まあ、それで偏見も消えたならそれはそれで良かったのかもな。

72 :日本@名無史さん:2012/03/26(月) 23:26:44.95

当時の技術って
鎖国もせずに屯田兵おいていったら
家作る技術も高まるだろ
 
というか北海道移住もできないんじゃ明の征服も無理なんだって

78 :日本@名無史さん:2012/03/30(金) 23:13:15.88

大清帝国の版図内の人=中華民族だから
日本人が大清相当の王朝立てたら今頃日本人朝鮮人は中華民族だろ
ふつうに考えて

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79 :日本@名無史さん:2012/03/31(土) 00:27:56.04

モンゴルに征服された時と同じ状態になる
中華の概念は消えてなくなって漢人とか南人とか言って差別してる
ふつうに考えて

80 :日本@名無史さん:2012/03/31(土) 15:30:34.09

歩兵主体の日本兵が大陸全土歩けってか。
ご苦労さんなこったw

82 :日本@名無史さん:2012/04/01(日) 08:10:51.70

日本から中国まで歩いてからさらに歩くのと、
中国人が中国で歩くのでは違いすぎるだろ。
自国と敵地の差もでかい。

87 :日本@名無史さん:2012/04/01(日) 15:04:13.08

何を言ってるかわからないが、ともあれ日本には中国を支配する力がなかった事実は動かない。

88 :日本@名無史さん:2012/04/01(日) 15:48:32.74

事実を示してもらってないけど

91 :日本@名無史さん:2012/04/02(月) 17:36:24.61

>>87
当時、国全体が戦闘民族化した日本相手に陸戦で勝てる軍隊は
世界中探しても存在しない(オスマンが唯一ぐらい)
大陸から撤退した数年後に、脳筋達が世界最大規模の戦争を国内でやっちゃう程の
アホが付くほどの戦闘民族。その戦闘民族化した時代に元が存在してて
信長が天下とった日本に攻めて来ていたら歴史的に魅力的なロマンがあっただろう。
 
鎌倉幕府の時代も元に逆に攻め込もうと計画した程の戦争大好き脳筋国家。

92 :日本@名無史さん:2012/04/02(月) 21:50:05.86

>>91
文禄の役では20万もの兵力を投入し、1年以上かけながら
明・朝鮮軍相手に敗走してるのに(笑) 

93 :日本@名無史さん:2012/04/02(月) 22:16:50.76

>>92
文禄の役は半島が不毛すぎて現地調達出来なかったのと寒さなどによる死傷者が多かったからで、
明・朝鮮軍相手に敗走って言うより、大自然に負けた

95 :日本@名無史さん:2012/04/02(月) 22:39:23.91

>>93
おまえ、戦争ってどこかに舞台をセットした上で行うゲームだと勘違いしてるだろw

105 :日本@名無史さん:2012/04/03(火) 04:47:20.35

>>95
お前は間違ってる。向こうが正しい。
戦略目標より食っていける地域を選ぶのはぐすたふあどるふがやりまくってる
兵隊はまず食わねばいかん
 
全裸道の穀倉地帯ってのも関係ない。
当時の機械力では北まで大して運べない

96 :日本@名無史さん:2012/04/02(月) 22:43:44.15

>>93
朝鮮半島の穀倉地帯である全羅道や黄海道を朝鮮義兵の抵抗にあって
占領できなかったからだろ。
 

90 :日本@名無史さん:2012/04/01(日) 19:41:54.08

明は数十年後に政権崩壊して無政府状態になったから
攻め込む時期がその頃なら大日帝国が中国王朝の1つになってたよ
その後は満州へ攻め込んで、満州国建国じゃなく満州県設置。

94 :日本@名無史さん:2012/04/02(月) 22:30:19.36

清正すんが満洲にまではいってるけど
あれはなんなんですかね、まだ半島内部の治安が安定してないのに後軍に反乱軍の対処をまかせて
大陸奥深く攻め入ったってのは、かぎりなくその後の戦いを想定してた可能性が高いのでは?

99 :日本@名無史さん:2012/04/03(火) 00:31:11.65

秀吉も馬鹿なネトウヨ同様、戦国日本サイキョウーって思っていたんだろ(笑)
長袖の国と明・朝鮮をナメてたんだろう。

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106 :日本@名無史さん:2012/04/03(火) 05:09:22.98

>>99
秀吉は晩年ボケてたって話もあるしな

108 :日本@名無史さん:2012/04/03(火) 15:30:18.31

>>106
最晩年(醍醐の花見の頃)こそ知らないが、朝鮮出兵の頃は呆けてないだろ
秀吉自身、戦の指揮を執るため筑紫まで行っているし
最初の出兵では同伴した淀殿との間に筑紫で秀頼を作ってるしw

109 :日本@名無史さん:2012/04/03(火) 16:01:49.23

60代でボケるか?

110 :日本@名無史さん:2012/04/03(火) 16:24:09.95

>>109
若年性痴ほう症
ていうか、淀殿との間の子供が本当に実子なのかどうかが。

111 :日本@名無史さん:2012/04/03(火) 17:25:28.79

豊臣政権は最後の最後まで秀吉独裁だったからな
秀吉は最後まで政治的判断力はあった
死ぬわずか3か月前に幼い秀頼のために五大老五奉行制度を作っているが
これもまともな精神だろう
五大老五奉行制度ができる以前はすべて秀吉が一人で決裁していた

115 :日本@名無史さん:2012/04/03(火) 19:09:28.65

>>114
秀吉は関白となって政権を取ると参内するために京に築いた聚楽第に移ってるよ
引退して太閤となってからは伏見城に住みここで没した
死ぬ直前の醍醐の花見とか伏見城からすぐだから
大坂にこもっていたのは豊臣秀頼

116 :日本@名無史さん:2012/04/03(火) 19:14:47.64

どっちでもいっしょだよ、中央から離れられなかった。
秀吉は重商政策をして、国内にたまりたまったエネルギーを海外に向けさせた。
タイの日本人町もその一つ。
朝廷の権威を復活して、織田譜代の意見をまとめると同時に、朝廷から領地を与えられているという形式に移行させた。
地域の独立性をはぐために刀狩りをさせ、大名の家来にならないものを士分からはずし
帰農もできない野党化した野武士などのあまった戦力を朝鮮に振り向けた。

117 :日本@名無史さん:2012/04/03(火) 19:37:31.23

>>116
どうせ日本の政治中枢なんて畿内か関東のどちらかにしか置かれたことがないんだよ
畿内に政治中枢を置くことが「中央から離れられない」というのならば
日本のすべての政権が中央から離れられないと酷評されることになる

123 :日本@名無史さん:2012/04/04(水) 15:29:44.45

>>120
秀吉自身、「中央」を離れて日本の前線基地筑紫名護屋城まで言ってるじゃんw
秀吉本人が先陣切って朝鮮に渡らなかったのがダメとか?
いつの時代の大将が先陣勤めるんだよw

118 :日本@名無史さん:2012/04/03(火) 19:47:09.36

そもそも独裁政治にしないと室町幕府みたいな脆弱な幕府になっちゃいますし

119 :日本@名無史さん:2012/04/03(火) 19:50:17.70

独裁がすぎると信長みたいな負け犬になっちゃいますし

124 :日本@名無史さん:2012/04/04(水) 20:40:03.75

朝鮮に渡る=先陣じゃないだろ・・・
名古屋って前線どころか後方だろ・・・?唐入りするんだろ?
自ら兵を率いて漢城に乗り込み三跪九叩頭させる勢いは必要だろ

125 :日本@名無史さん:2012/04/04(水) 20:59:56.71

>>124
名古屋って…
単なる書き間違いだと思うが。

126 :日本@名無史さん:2012/04/04(水) 21:21:44.74

うん、書き間違えだけど・・・
いや国外に攻め込むんだよ・・・?一歩も外にでずに前線・・・?

128 :日本@名無史さん:2012/04/05(木) 02:15:15.72

>>126
今も昔もそれが普通じゃないの?
逆にそれ以外があるの?

129 :日本@名無史さん:2012/04/05(木) 02:21:42.96

唐入りするんなら渡るつもりだったんだろ
アレクサンドロス3世もダレイオス3世もナポレオンもアレクサンドル1世も戦場で指揮をとっている

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カテゴリー : 歴史(2ch) 雑談(2ch)

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コメント (6件)

  1. 名前:念仏の鉄 投稿日:2012/04/10(火) 11:31:01

    中華思想を無くし、ヨーロッパの植民地支配を退けて大東亜戦争の理想を構築してたはず。

  2. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2014/05/29(木) 14:09:36

    本スレ>>92 本スレ>>99
    何も知らないのな。
    1593年1月の平壌の小西の敗退を除けば、
    日本側には戦略的に支障をきたす敗北なんてないんだよ。
    あと小西行長は明の沈遊撃との交渉で、停戦協定を
    結んでいて、これを律儀に守っていたところを、
    明の李如松が和平がなったと騙して、
    小西の使者を誘き寄せて騙し討ちにしたんだよ。
    明・朝鮮軍6万で小西軍15000の戦いで、
    小西軍1285の損害 明軍は3000の損害をだしている。
    で碧蹄館で日本軍に返り討ちにあって、
    李如松は平壌まで逃げ帰って 【自分は病気で戦えないし、
    日本軍は20万で勝てない】っ明て皇帝に泣きを入れたんだよ。
    そこで戦闘では勝てないから小西や加藤に和平の使者を送り始めるんだよ。
    そこで初めて日本軍は、補給の円滑のために釜山まで移動したってわけ。
    本スレ>>96
    黄海道の義兵って延安に起きた程度で、
    李朝が黄海の人民はすべて大人しく敵に従っているって嘆いてるくらいだぞ。
    全羅も義兵が起きたから占領できなかったんじゃなくて、
    朝鮮官軍と義兵の撃破に向かったんだよ。
    その途上で、小早川軍に北に向かえって指示がでたから、
    全羅から出て行ったわけで。
    しかも敵の墓を作ってるまで余裕を持ってね。
    つかこの手の反日連中って何をソースにして、こんな出鱈目書いてるんだ?
    逆にこいつらが根拠にしてる本が気になる。

  3. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2014/10/14(火) 15:03:53

    もう誰も見ていないだろうけど、コメする。
    >>35
    >焼き物の技術者は諸大名が取り合い
    のソースは韓国の歴史研究だったと思う。
    19世紀の朝鮮半島で焼き物の技術が無かったのは、秀吉の朝鮮出兵が原因っていう、ウリナラファンタジー。
    まあ、従って>>35は朝鮮人である可能性が高い。

  4. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2015/12/01(火) 04:41:40

    本スレ>>46
    文禄・慶長の主要な戦いにおいて日本軍は明軍に対して8勝だぞ。
    明軍は僅か1勝であり、それとて
    小西行長を騙し討ちにし6倍の兵力で
    襲い掛かり、それでも小西軍を殲滅することが出来ずに
    勧告で城を明け渡させたというもの。

    文禄の数百~2000くらいの小中規模な戦いでも
    島津や加藤軍に明軍は負けている。

  5. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2016/11/11(金) 13:41:07

    戦闘なら最強だが、戦争には勝てない

  6. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/08/28(月) 13:19:58

    ※5
    慶長の役終了の時点で、朝鮮国は民衆も四散し食料の供給もできず崩壊寸前で、
    明軍も3路攻勢で大敗を喫してて、明国も秀吉戦との疲弊で増援を送れる状況ではなかった。

    出典は明と朝鮮の記録から。

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