埋蔵金とかいうロマンwwwwww

2014年2月25日、カリフォルニアで、自宅の裏庭に埋まっていたコイン 1,427枚を掘り当てた夫婦の話題が大ニュースになりました。

http://abcnews.go.com/blogs/headlines/2014/02/california-couple-finds-10m-buried-treasure-in-back-yard/

ふたりは、これまでにも何度となく通った裏庭の小道を歩いていたところ、カンの端がのぞいているのに気がつきました。

なんだろう、と思って掘り出してみたところ、中はコインがぎっしり!

2014-06-06-08-11-27

他にもないかとあたりを掘ってみて、全部で5つのカンを見つけることになりました。
中に入っていたのは、5ドル、10ドル、20ドルのコインが合わせて1,427枚。

コイン専門家ドン・ケイガン博士に相談してみると、1847年から1894年に鋳造された後、造幣局を出たばかりで流通していない状態のコインばかりであることがわかりました。

2014-06-06-08-11-27

いったい誰が何のために埋めたのか。

記録はまったく残っておらず、盗難の報告もなかったため、結局、敷地の持ち主である夫妻のものになりました。

コインの総額は約2万7千ドル相当ですが、その中には大変珍しいコインも含まれ、1枚100万ドルの値が付いたということです。その合計は1千万ドルを超えるともいわれています。

夫妻はその収益を貧しい人や芸術の振興に当てたいと話しているようです。

しかし、埋まっていたコインを見つけるのなんて、拾った宝くじが1等を引き当てるようなもの。

2014-03-20-20-32-51

至言

どうせ一攫千金を夢見るなら、裏庭を掘り返してみるより、未だ発見されていない埋蔵金を掘り当てる方がいいかもしれません。

スポンサードリンク

キャプテン・キッドの財宝

17世紀の海賊の中には、国に雇われていた海賊たちがいました。
国家から報酬を受け取り、敵対国の船だけを襲撃する海賊たちです。

2014-06-06-13-31-30

王下七部海の元ネタですね

映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』の四作目でも、キャプテン・バルボッサがイギリス王ジョージ2世に使えていましたが、こうした海賊たちは「パイレーツ」ではなく「プライベーティア」と呼ばれていました。

2014-06-06-08-11-28

キャプテン・キッドことウィリアム・キッドもそのプライベーティアの一人。

英国王ウィリアム3世から、海賊行為の制圧と海賊の略奪品の没収を委託されていました。

2014-06-06-08-11-28

ところがキッド船長、ほかの海賊船との戦闘よりは、商船を襲う方が好きだったようで、もっぱら商船ルートで暴れ回ります。

キッドとしてみれば、自分が襲うのは「外国人だけ」という大義名分があったのですが、イギリスはそれを認めませんでした。

紆余曲折の後、結局キッドはニューイングランドで逮捕されたあと、イギリスへ護送、この世の地獄ニューゲート監獄に投獄されてしまいます。

海賊行為、殺人等多くの容疑をかけられたキッドは、いちおう裁判を受けるものの、全ての容疑で有罪の判決を受け、縛り首となりました。

2014-06-06-08-11-28

キャプテン・キッドは、処刑前夜に議会の下院議長にこんな申し出を行ったと言われています。

「命を助けてくれたら財宝を隠した場所に案内する。おそらく100万ポンドはくだらないはずだ」

実際、キッドの死後没収した財貨が予想以上に少なかったため、何らかの隠し金があったに違いないと考えられるようになっていきました。

キャプテン・キッドの財宝をめぐっては、「宝の地図」なるものが何枚も見つかり、それをもとにした小説がいくつも書かれました。

ルイス・スティーヴンソンの『宝島』やエドガー・アラン・ポーの『黄金虫』の話は知っている方も多いでしょう。

スポンサードリンク

オーク島での発掘

キャプテン・キッドの財宝の在り処は数多くの候補地がありますが、その中に、長い間多くの人をとりこにしてきたオーク島という小島があります。

2014-06-06-08-11-28

オーク島は、カナダの東部、マホーン湾に浮かぶ小さな無人島。キャプテン・キッドが立ち寄った島と言われています。

2014-06-06-08-11-28

1795年、ダニエル・マクギニスという少年がその島を探検していたとき、とあるオークの木の枝に、船の滑車装置がぶら下がっていました。しかも木の下が窪んでいます。

2014-06-06-08-11-28

少年は、ここは海賊の財宝の隠し場所に違いないと考えて、仲間を集めて掘り始めました。すると、そのあたりにはない敷石の層にぶつかりました。あきらかに別の土地から運んできたものです。

さらに掘り進むと、今度は丸太の層にぶつかりました。いずれも腐食が進んでいて、相当長い間、そこに埋まっていたものに違いありません。

丸太をどかすと、粘土層。

さらに6メートルの深さの所に再び丸太の層。自分たちの手に余ると考えた少年たちは、あきらめて家に帰りました。

大人になった彼らは、スポンサーを探しながら、掘り続けていきます。

しかし、掘っても掘っても3メートルごとに新しい障害が待ちかまえていました。

2014-06-06-08-11-29

彼らは、この縦坑が海賊によって掘られたものにちがいないと考えます。

27メートルの深さのところで、船舶用のパテの層に突き当たりました。さらにその下には、ノヴァ・スコシア地方には見られない種類の大きな石が。そしてその石には謎の文字が刻まれていました。

ハンターたちは、いよいよ目的の場所に到達したと考えたのです。

2006-08-12-11-03-07

ところが、地下27メートルを超えると、泥水があふれ出し、掘り進むのが難しくなってしまいました。

排水ポンプでくみ出しながら作業を続けていたのですが、やがて資金も尽き、そこで彼らはあきらめざるを得なくなってしまいます。

以降、何度もこの縦坑を掘ろうとする人があらわれました。

そうして、彼らの手によって、水は地下水ではなく、海水であること、海から引いたトンネルのようなもの(縦坑のイラストの横の部分)が、縦坑を守っていることがわかったのです。

この巧妙な仕掛けは何を守るのか。目もくらむような財宝以外にはあり得ない。
人びとは色めき立ちました。シンジケートを結成し、ついに事業として発掘作業に乗り出したのです。

湾に通じるトンネルを塞ごうという試み、ダイナマイトでトンネルそのものを吹き飛ばそうとする試み、その中で、地下深くにさらに島の南側に通じる第二トンネルも見つかりました。

19世紀末、発掘グループの掘削工事に投じた資金は22万5千ドルにものぼりました。財宝が見つかったとしても、回収できる保証はありません。そうして、シンジケートは事業の終結を宣言しました。

2014-06-06-08-11-29

誰が何のためにこんな大規模な縦坑を構築したのか。海賊などではない、と考える人も出てきました。

この構築に含まれている技術は、英国軍隊のものではないか。
アメリカの独立戦争で敗色濃いイギリス軍が、軍用金を隠す穴の構築を命令したのではないか。
二世紀にわたって多くの人が掘り返しても、かけらさえ見つかっていないのは、現実には埋蔵は行われなかったのではないか。

この焦らされ感、糸井重里の徳川埋蔵金を彷彿とさせますが、今でも有志による発掘が行われているようです。

スポンサードリンク

ガーディナーズ島での発掘

もう一つの有力な財宝の在り処は、ニューヨークのすぐ東にあるガーディナーズ島です。

2014-06-06-15-18-06

こちらの島は、ガーディナーズ家の個人所有の島のため、実際の発掘状況は外部からは窺い知ることができません。

しかし、キャプテン・キッドが捕まり、裁判を受けた際に、証拠としてキッドの財宝(砂金や銀の延棒、宝石等)を提供したとの記録があります。

こちらもなかなか信ぴょう性のある候補地ですが、私有地の為、我々は発掘に行くことはできません。残念。

スポンサードリンク

キッドの財宝発見!(一部)

キッドの死から300年ほどが過ぎた2007年、キッドの財宝の存在を裏付けるような発見があったのです。

ドミニカ共和国のカタリーナ島近海で、キャプテン・キッドが最後に乗ったクェダ・マーチャント号とみられる沈没船が見つかります。

この船は、キャプテン・キッドが東インド会社から掠奪したもの。

サテンやモスリンなどの繊維や、金銀の財宝を積んだ船が、カタリーナ島の岸辺のすぐ近く、水深3メートルほどのところに沈んでいたのです。

2014-06-06-08-11-28

このニュースを聞いて、世界中のトレジャー・ハンターは、キャプテン・キッドの財宝の存在を改めて確信するようになりました。

ワンピースの完結と、キッドの財宝の発見。どっちが早いですかね?

この記事が気に入ったら
「いいね!」

腹筋崩壊ニュースの最新情報をお届けします

カテゴリー : おもしろ 世界史

タグ : 

  関連記事

スポンサードリンク

コメント (21件)

  1. 名無しさん@腹筋崩壊 2014/06/06(金) 19:28:30

    糸井重里なつかC

  2. 名無しさん@腹筋崩壊 2014/06/06(金) 20:44:02

    埋蔵金といえばビール暗号ってのを最近知ったな

  3. 名無しさん@腹筋崩壊 2014/06/06(金) 21:19:53

    〜財宝ハンター笹川良一〜
    1980年9月19日、笹川良一(故人)率いる日本船舶振興財団が日本海海戦(日露戦争)で沈んだ「ナヒーモフ号」が積んでいたプラチナや金塊を引き上げたとの報道があった。
    当然、ロシア帝国の後継を称するソビエト連邦はその所有を主張するが、笹川良一はなんと北方領土との交換で財宝の所有を認めさせようとした(売国)。しかし、後に引き上げたものは財宝ではないことが判明した。
    笹川良一は著「人類みな兄弟」で、財宝の引き上げは北方領土との引き換えのためとほざいていたが、彼が本当に狙っていたものはナヒーモフ号の財宝ではなかったとされる。彼には本命の船が別にあり、ナヒーモフ号は世間の反応を試すためのただの当て馬だったことになる。
    続く

  4. 名無しさん@腹筋崩壊 2014/06/06(金) 21:20:10

    続き
    その本命の船とは、「第二氷川丸」という。第二次世界大戦時、客船から病院船に変わっていたオランダの「オプテンノール号」を旧日本軍が拿捕し、日本の病院船としたものである。当初は天応丸と名付けられたが、天応という言葉が天皇と同じ読みであることから第二氷川丸と改名された。以後、重油、航空燃料、液体アンモニア、塩素酸カリ、生ゴム、ダイヤモンド、銀塊、暗号書、兵員、武器弾薬等の病院船としての違反物も運び、最後の航海を終えて舞鶴港に入港。1945年8月19日 舞鶴鎮守府防備隊により、自爆沈没。
    この船にはインドシナで日本軍が略奪した物資が大量に積まれており、連合軍に没収されるのを防ぐため海軍大臣米内光政の指令により沈められたと言われる。
    戦後すぐにオランダ政府から出されていた「オプテンノール号」の返還・賠償要求はちょうどナヒーモフ号引き上げを行う少し前の1978年10月に約1億円の賠償で決着したはずだが、笹川良一はその裏で第二氷川丸の引き揚げを狙っていたのだ。だが、笹川良一は1995年に死去。
    今も、第二氷川丸は舞鶴湾から少し沖にある冠島の北東7400m地点の海底に沈んでいる。

  5. 名無しさん@腹筋崩壊 2014/06/06(金) 21:20:55

    海外の場合は慈善意識が強いからなあ

  6. 名無しさん@腹筋崩壊 2014/06/06(金) 21:22:57

    追記
    笹川良一が狙っていた財宝の総額は、2兆円とも3兆円ともされる。

  7. 名無しさん@腹筋崩壊 2014/06/06(金) 22:02:37

    キッドの財宝なんて無いわな
    何時死ぬかワカラン連中ならパーっと使っちまうだろ
    頭の良い奴が腹心に居たら運用してる
    徳川の財宝もしかり
    倒幕されるぐらいならその金使って兵を増やしてる
    大政奉還した=金が無かった

  8. 名無しさん@腹筋崩壊 2014/06/06(金) 22:19:29

    縛り首のイラストがハム作ってるように見える

  9. 名無しさん@腹筋崩壊 2014/06/06(金) 23:06:20

    慈善意識、ってか文脈から察するに発見者の個人情報なんかは報道されたんじゃないの?
    誰だってそんな大金拾ったら怖いしね、まぁこのカナダ人も多分全額寄付したわけじゃなくて、2割くらいは自分の懐に収めてるよ(凡推理)

  10. 名無しさん@腹筋崩壊 2014/06/07(土) 02:31:46

    山下将軍の財宝とかね

  11. 名無しさん@腹筋崩壊 2014/06/07(土) 04:13:21

    今回も面白かったですわ

  12. 名無しさん@腹筋崩壊 2014/06/07(土) 04:25:58

    管理人さん、ワンピース好きなの?

  13. 名無しさん@腹筋崩壊 2014/06/08(日) 18:05:31

    海の財宝はもう夢がないよ
    国がほとんど持っていくようになったしね

  14. 名無しさん@腹筋崩壊 2014/06/09(月) 09:17:05

    >猛毒を塗布した大量の金塊を発見!
    >先日、山梨県は富士山麓一帯の某溶岩洞窟において、現在東京在住の古兵法研究家である風倉龍之介氏は戦国時代の武将:武田信玄の軍資金?と思しき猛毒が塗布された大量の古金塊を発見し、その一部の搬出に成功した。
    >発見物は1週間以内に所轄の警察署へ届け出ねば占有離脱物横領罪に問われるので、風倉氏は近日中に所轄の山梨県富士吉田市警察署へ届け出る予定だと言う。
    風倉龍之介くん。
    君は正直な人間だ。

  15. 名無しさん@腹筋崩壊 2014/06/09(月) 21:36:56

    戦国末期に地震で埋没する前の旧白川郷金山の埋蔵金騒ぎとか思い出したわ。

  16. 名無しさん@腹筋崩壊 2014/06/10(火) 07:02:03

    >猛毒を塗布した大量の金塊を発見!
    >先日、山梨県は富士山麓一帯の某溶岩洞窟において、現在東京在住の古兵法研究家である風倉龍之介氏は戦国時代の武将:武田信玄の軍資金?と思しき猛毒が塗布された大量の古金塊を発見し、その一部の搬出に成功した。
    >発見物は1週間以内に所轄の警察署へ届け出ねば占有離脱物横領罪に問われるので、風倉氏は近日中に所轄の山梨県富士吉田市警察署へ届け出る予定だと言う。
    >今回、発見した金塊は通称矢竹(シノ)と呼ばれる竹流しの小振りのもので計・・本を搬出。
    >重さは○斤、長さ○寸、太さ○分、純度は経験値からAu70%、Ag20%Cu10%前後と推測されるが、特殊な計測器(クロマトグラフ)で分析しなければ正確には判明出来ない。
    >当時のクペラスィオン(貴鉛から灰吹法に拠る精製技術)ではAu純度70%前後が限界であるが、現在の電気分解法では99.99%が標準の規格。
    >金Auの原子量は採掘現場に拠って微妙に異なるため最先端のLHC(高エネルギー加速装置)で金の「DNA」を分析すれば原産地の特定は可能とのこと。
    >「当時の意外な物流ルートが判明すれば日本史に新たなページが加えられるだろう」とは風倉氏のコメント。
    >尚、風倉氏によると発見した溶岩洞穴内が非常に脆い状態で落盤の虞れが強く、またライトの電池切れや蝋燭も亜酸欠で弱々しくなり、残念ながら命あっての物種と即断、詳しい調査を諦めて早々に撤退したと言う。

  17. 名無しさん@腹筋崩壊 2014/06/16(月) 09:03:15

    頭のおかしそうな奴とか、不細工・眼鏡・デブの三拍子そろったオタク等がいい気になれるのが徳川埋蔵金。
    有る訳がないので、他の奴に先に発見される心配が無いからだ。

  18. 名無しさん@腹筋崩壊 2014/06/25(水) 01:21:14

    >よく埋蔵場所として「赤城山」の名が挙がるがこれは間違った情報だと思う。
    >かつてTBSが重機を使って大がかりな発掘プロジェクトを番組にしたが、研究者の間では相手にされていなかった。
    >あの時、坑道が発見されたが、それは太平洋戦争直前に掘られたものである。
    >そもそも「赤城山」という名前が登場したのは、明治時代に詐欺師が横浜にいたアメリカ人相手に埋蔵金発掘の計画を持ちかけた時が最初である。

  19. 名無しさん@腹筋崩壊 2014/12/18(木) 14:58:33

    徳川埋蔵金ってトレジャー・ハンターが挑戦すれば失敗間違い無しだが、埋蔵金詐欺師・視聴率が目当てのテレビ番組・出演料や印税が目当ての埋蔵金研究家などにとっては知名度が高いので最高のネタ。
    不細工・メガネ・デブの三拍子そろったオタク等の才能の無い奴らでも、他の奴が先に出してしまう心配がないので安心して取り組める都市伝説。
    埋蔵金が有る可能性はほとんど無いので、他の奴に先に発見される心配が無いからだ。

  20. 名無しさん@腹筋崩壊 2015/06/03(水) 19:18:02

    刊ポスト2/25号
    驚愕スクープ!第1弾
    麻原側近幹部Xが初めて告白
    消えた「オウム金塊と現金7億円」これが全真相だ
    ttp://www.asyura2.com/sora/bd5/msg/462.html
    週刊ポスト3/3号
    麻原側近幹部Xが初告白!第2弾
    麻原が村井に命じた徳川・武田埋蔵金発掘マル秘計画
    ttp://www.asyura.com/sora/bd5/msg/524.html
    オウム真理教の無刻印金塊と金丸信
    強制捜査で教団の金庫から七億円の現金と共に十キロの金塊が見つかっている。その金塊は無刻印で金丸信事件と同質と思われている。出所は北朝鮮ではないかとの報道も流れた。実行部隊のトップ早川「建設大臣」は93年から頻繁に北朝鮮を訪れていた。
    「北朝鮮の中央銀行はロンドンのゴールドマーケットに認められた刻印をもっている。可能性はないかと言われれば分からないが、無刻印のままでは流通性がなくなる。いずれにせよ正規の流通ルート以外から手に入れたものだろう」(田中貴金属工業)
    「北朝鮮からと言うのは材料不足。話としては面白いが短絡的だ。しかし、市場流通性がない無刻印金塊を所持していたのが、ともに山梨に関係する金丸、オウムだったという点には、何らかの意味が有ろう。
    山梨、とくに甲府は宝飾産業のメッカなので、工業用として入ってきた可能性もある」(アジア国際通信、神保隆見氏)
    オウムは無刻印金塊を何処から手に入れ、何に使おうとしていたのか。
    【参考『月刊現代・1995年七月号』88頁「オウム事件13の謎」より抜粋】

  21. 名無しさん@腹筋崩壊 2016/10/26(水) 17:57:42

    2015年にマダガスカルでキャプテンキッドのものとされる銀の延べ棒が見つかったそうな

スポンサードリンク